○  長野オリンピック記念長野マラソンに参加  (42.195km)



有名マラソンなので楽しみにしていました。
いよいよ出発です。




元気にスタートしました。



10km地点
妻まちこ先生  『いいスタートじゃない、安定してるよ』
本人 『うん、5時間ちょうどのペーサーの先生がいてさ、ついていこうとおもう』

20km地点
妻まちこ先生 『5kmおきのタイムだけど、まるでおちていないね』
本人 『いろいろ倒れているひとに声掛けしてね、そんとき、ついでに、休んでいる

30km地点 『5kmおきのタイムおchびていないけど、全体的に遅いんじゃない』
本人 『これが僕の実力さ、だって、いろいろな人に声をかけながら、定期的に休んでいるもん』

40km地点『これなら、ゴールできそうね。でも、5時間の制限でしょ。すでに過ぎてるんじゃないの?』
本人 『いやあ、さっきペーサーの先生についていったけど、まあ、医者の仕事もしながら走っているし
僕が最終ランナーってことで、、、5時間すぎてもいいんじゃないかなあ』

とはいえ恥ずかしいので、あと2km全力ではしりましたが、
均等にやすんだ足はもとにもどらず、、、4時間45分でフィニッシュ







ながのマラソンは、フルマラソンで、
今回は、ドクターの仕事をしながらはしるメディカルランナーで申込みをしました。
心臓の位置につけているワッペンです
6人の方に声掛けをして、いろいろお役にたてました
ドクター冥利につきますね。
とくにおおきな事故にも遭遇せずに、完走できました。



なにを左肩に入れていたかって?それは、じつは、酸素濃度測定器でございます。
これさえあれば、救急車を呼んだ方がいいかどうか、わかるものです。
酸素濃度測定器をもっているとは、まさか誰もおもうまい、、、ふっふっふっ でしたが、
結局、一度もつかうことがありませんでした。

本当は、AEDを背中に背負って走ろうとおもったのですが、
AEDは重い  11kgもあります



まず、AEDをせなかに背負うには、11kgのダンベルをリュックにいれて
日々のトレーニングをはじめました
そしたら、ふとももを痛めました

ふりかえると、
じつに、ばかな特訓をはじめたものだとおもいます。


このままでは、僕がリタイアして救急車で運ばれます
これははずかしいのでやめました
そのかわり、大会本部にAEDの地図をいただいて、ポケットにいれております




このワッペンです。なかなかかわいい。

白衣につけてみました、、、でも、
うちのスタッフには、若干不評で、自分でも白衣にはちょっと、、、
日常の診療には使えなさそうです。




ちなみに、右肩には”トモダチ作戦のワッペン”をつけて走りました。
左肩には、緊急のときに役に立つようにお薬と小型の診察道具がはいっております。


この塩熱飴がよかった




はじめてたべて、感動した 蕎麦がき



今回は、この新しいマラソンシューズで参戦!






前日の受付で、
僕のことが、会場でのっていて、ちょっとテンションあがりました。


安定したマラソンをこころがけて、なんなくゴール!


  ★★ 長野マラソンの歴史通なみどころ  ★★
コース前半は、善光寺とオリンピック関係ですが、
後半は、川中島の戦いそのもので、つうをうならせるコースでした。
とくに、20kmすぎから、上杉謙信の陣をした妻女山がみえて、NHKどーもくん人形とタッチしたところで海津城があります。
この城をめぐる攻防が第4次川中島の戦いです。川沿いのルートを走ると、山本管介の墓があり、合戦場がみえます。
さらに、松代のインターチェンジをすぎたあたりから、手前下あたりの川辺で、謙信と信玄の一騎打ちがあった場所です。
上杉側の主張では、川の中で馬上で二人が一騎打ちします。
35km時点をUターンをして帰路にはいると、左手に信玄の布陣した丘になり、40kmをすぎるとそこは、
武田側の主張する甲陽軍艦での信玄と謙信の一騎打ち、つまり有名な謙信が一人突入し、信玄が軍配でうけるシーンです。
その場面になります。かっこいい場面ですね。



武田と上杉では、信玄と謙信のたたかいも別なんです。

こちらは、川中島古戦場・八幡社の銅像(武田の説による一騎打ち)



こちらは、上杉の説による一騎打ち(武田信玄が馬にのり、馬上の上杉謙信と川の中で戦っている)



  ★★ 高橋尚子さん と 長野オリンピックスタジアム ★★
フィニッシュ会場のオリンピックスタジアムは、人工芝できれいです。Qちゃんが、全員タッチを目標にたっていました。
Qちゃんは、かなりきれいになっていて、もうすぐお嫁にいくんだろうなと感じさせました。
彼女の盛り上げ方は、尋常ではありません。スタジアムみんなを、一気にひきよせ、楽しくさせていました




○ 東京マラソン・長野マラソンのあとは、しばらくランニングではなく、筋肉トレーニングをしました。



長野オリンピック記念長野マラソン

オリンピック記念長野マラソンは、一流招待選手と市民ランナー(制限時間5時間)が一緒に長野市内の42.195kmを走るフルマラソンの大会. 日本オリンピック委員会が主催する硬派のマラソン。
信州の冷涼な気候を利用して、マラソン大会のシーズンの終わる4月に行われます。早春の信州の空気とアルプスの雪景色や桜、そして武田信玄と上杉謙信の対決などにおもいをはせながら、歴史を楽しみながら走れ、日本各地のマラソン大会の中でもトップクラスの人気があります。参加申し込み開始日に定員に達することも多く、人気コンサートのチケット並みにエントリーが大変です。
長野マラソンは、長野冬季オリンピックの翌年の1999年から行われていますが、その前身の「信毎マラソン」までさかのぼると、昭和33年に開かれた第1回大会は、参加選手はたった51人だったようです。
「長野マラソン」となった第1回大会の参加者数は4000人でしたが、それから徐々に増え、2010年には8000人になって参加費も高くなりました。2012年には、前年の大会が東日本大震災の直後で中止になったため、その申込者を含め、参加者数が10000人に増えました。2009年から、例年、高橋尚子さんが参加されるのも人気。
なんと制限時間は、5:00という条件です。完走するのは市民ランナーのひとつの目標といえます。




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