女性泌尿器科専門のクリニック

シシリー・ソンダース先生のご紹介

アニメにでてきたシシリー・ソンダース先生。ぜひ、知りたいというお話をうかがうこともあります。ぜひ、彼女の人生を紹介します。しばらくご一緒にお付き合いください。




===うまれ====
彼女は、1918年6月22日に、ビジネスマンの父、神経質な母の元に生まれました。父と母は不仲であり、彼女の人間形成は多くの部分を自分の力で乗り越えて生きます。家そのものは裕福で、十分な教育を受けています。
オックスフォード大学に入学。1年後に戦争の悲惨さを目の当たりにします。彼女は学生時代にも看護の世界に入ろうとしますが両親の反対で断念。しかし、再びその気持ちがでてきて、ナイチンゲール看護学校に入学します。3年間研修を続けたが、持病が悪化し、看護の仕事は無理だと医師に宣告されます。悩んだ彼女は、患者と共にいられる職業としてアルマナー(現代での医療ソーシャルワーカー)を決意します。

===医療ソーシャルワーカー、看護師になる===
1947年、29歳でセント・トマス病院。シシリーは、初めて受け持った末期患者の一人でポーランド人のデビット・タマスという男性と恋に落ちます。死にゆく人がどうやったら安らぎを覚えられるかということをふたりで熱心に心から話し合い、このことが、人生に大きな影響を与えました。彼は、500ポンドを遺し、セント・クリストファー・ホスピスの礎石となった。彼の死後、“死にゆく人のために仕事がしたい”と彼女は固く決意した。聖ルカという“死にゆく人のための施設”で夜間のボランティア婦長として定期的に働くようになします。設立者のハワード・バレット博士の哲学は彼女の考えに影響をあたえていきます。この聖ルカで、シシリーは経験的ですが麻薬が癌末期につかわれていることをしります。1年後、彼女は上司からアドバイスをされます。
「あなたは、医学校に行って、勉強したまえ。末期患者を笑顔にしてくれ。」
シシリー・ソンダースが33歳の時です。1957年4月(39歳)、ついに彼女は医師の資格を取得します。

===医師になり、世界で最初のホスピスを作る====
シシリーは痛みの研究をはじめます。シシリーは、医療用麻薬を経口で定期的に与えるという聖ルカでの方法を聖ジョゼフでの末期がん患者に導入しました。実践をもって、麻薬への耐性と依存への恐怖を取り払りのぞく努力をしていきます。彼女の看護からの経験から、看護婦にできるだけ責任のある仕事をさせたのも有名です。聖ジョゼフの看護者たちは、患者の痛みを昏睡状態に陥らせることなしに和らげることができて驚いたといいます。シシリーは1000人以上にも癌の痛みをとる仕事をして、次第にその働きが外に知られるようになっていきます。

イラストは、しんざきゆきちゃん (拙著 『あなたらしい最期の生き方』より)


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奥井識仁のコラム

奥井 識仁


  • 外科医。医学博士
  • よこすか女性泌尿器科

トライアスロンがんばっているよ。

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